綿向山を愛する会

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日野町探訪

滋賀県   蒲生郡   日野町

   滋賀県の東南部に位置する町で、1955年(昭和30年)3月、旧日野町と東桜谷・西桜谷・西大路・鎌掛・南比都佐・北比都佐の六ヶ村が合併して誕生した。
   町は、鈴鹿山系の西麓にあって丘陵・山地が広く分布し、西へ日野川と佐久良川が流出する。この両川の本・支流沿いに沖積低地が開けている。
   町の歴史は古く、延喜式内社の馬見岡綿向神社が鎮座し、比都佐の地名は、古代の郷名である必佐郷に由来する。
   現在の日野の中心市街は、天文3年(1534年)蒲生定秀が中野城(日野城)を築き,城下町を営んだのが都市的起源とされており、蒲生氏の城下町として発展し、鞍・鉄砲の製造で知られていた。
   蒲生氏が松阪(三重県)へ出、江戸時代に入ると仁正寺(西大路)藩市橋氏1万7000石の陣屋が置かれたが、街は商人の町として発展し、近江商人の一派の日野商人が、日野椀や売薬の行商をしながら全国へ進出した。今も古い街並みを残している。
   主産業は農業で、米・野菜作りや・乳・肉牛の飼育が行われる。近世以来の伝統を持つ医薬品製造のほか、機械・食品工場なども立地している。

近江日野商人館

   静岡県御殿場に出店して大成した日野商人・山中兵右衛門の屋敷を利用した資料館。
   日野商人とは日野地方出身の近江商人のことを指し、日野椀と万病感応丸という漢方医薬の販売で財を成した。日野商人は決して奢らず、草津宿道標を兼ねた常夜灯を寄進するなど、地域社会への奉仕に力を注いだ。 昭和11年建築の屋敷内には、代々伝わる商人の心得十カ条を記した山中家家訓、天秤棒や笠、合羽などの道中具、行商品などが展示されており、倹約、勤勉、地域奉仕の心を信条とした日野商人の歴史を知ることができる。

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滋賀農業公園ブルーメの丘

滋賀農業公園ブルーメの丘http://www.blumenooka.jp/
   中世ドイツの伝統的な風景や町並みを再現したブルーメの丘。石畳が広がる広い園内は、緑の木々や四季折々の花で包まれ、門、街、村、花、水、遊、牧の7つのテーマごとのエリアに分かれている。1日中たっぷり過ごすことができる。手作り体験教室では、ソーセージやパン、ピザ作りに挑戦できる。
   村のエリアには、石窯パン工房や、地ビール工房などがあり、本場ドイツ仕込みのビールを飲みながらパン、ソーセージが味わえます。
   花エリアは、バラ園やハーブガーデンを中心に、押し花教室を開催する花の夢館や温室がある。
   水のエリアには、世界的建築家・安藤忠雄の設計による赤い帽子織田廣喜ミュージアムが立つ。人工照明を一切使わず自然光だけで鑑賞するという美術館は、世界でもここだけという。
   牧のエリアにある宿泊施設まきばに館レーベンには、近江牛や園内の牧場で育った牛が味わえるレーベンレストランがある。
   そのほかエリア内にはワンちゃんふれあい牧場や、小動物とのふれあい広場、羊や馬の放牧場などがあり、羊の追い込みショーも開催されています。

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【花】   鎌掛谷・ホンシャクナゲ群落

鎌掛谷・ホンシャクナゲ群落鎌掛谷・ホンシャクナゲ群落
   鎌掛地区の東約2kmのところ、標高300〜400mの、石楠花谷あるいは鎌掛谷と呼ばれる赤松の多い谷間から斜面にかけて、約4万平方メートルにわたって約2万本ものシャクナゲが群生している。
   高さ2m前後の木が大部分を占めるが、なかには幹の周囲が30cm、樹高5m余り、1株で10平方メートル近い面積をおおうものもある。 
   花の見頃は4月下旬〜5月上旬のゴールデンウイークで、美しい淡紅色の花を咲かせますが、自然に群生しているため、表年(花が多い年)と裏年(花が少ない年)があります。
   シャクナゲは高山植物でであり、鈴鹿山系でも標高800mから1000m付近の高所に自生していますが、ここほどの低地に、しかも群生しているのは非常に珍しく、昭和6年に国の天然記念物に指定されました。また、滋賀県の花にもなっています。

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【花】   正法寺の藤

正法寺の藤   正法寺の藤   正法寺の藤
   日野市街の南約3キロのところ、鎌掛にある。開基の年代、沿革ともに明らかでないが、本堂横の高みに立つ石造宝塔は、鎌倉後期のもので、国指定の重要文化財になっている。
   境内の一隅、本堂脇には樹齢300年を数える見事な藤があります。房の長さが1m以上にもなり、5月中旬を盛りとして、美しい花を棚いっぱいに咲かせるこの藤は、古くから後光藤という名で親しまれ、5本の幹からなります。 この藤は寺を開いた普存禅師が、京の都から江戸時代にこの境内へ苗木を移したと伝えられています。

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【まつり】   日野祭

   日野町綿向神社の5月3日の祭。この神社は綿向山に山宮をもち、祭礼に先立つ4月20日に、神を迎える「岳まつり」が頂上で行われます。
   3日早朝、芝田楽や曳山が宮入りし、午前11時ころよりの祭典後、約2km離れたお旅所へ芝田楽を先頭に3基の神輿渡御が行われる。芝田楽は、3人の稚児と警固役の神調社と称する上野田地区の16〜36歳の男子約100名で構成され、渡御行列一切に強い運営権限をもつ。すでに1717年の文献にみられる16基の曳山は、高さ5〜7m弱の二層露天式で、屋上には趣向をこらした「ダシ」人形が飾られ、以前は人形からくりも一部使用された。
   笛、大太鼓、すり鉦で演奏され、囃子はバカ囃子、ヤタイ、オオマの3曲が各曳山共通の曲目で、ほかにカグラ、カンダ囃子、サガリハなど各曳山全体で15曲ほど伝わる。渡御行列に面する家々には、緋の毛せんをかけ、すだれごしに祭礼をみる常設の桟敷窓があり、祭風俗としては珍しいものである。
   中世末の渡御行列には、領主蒲生氏、長刀振田楽座、棒振花笠座、もどき打ち、綿向山伏などの参加がみられたが、現在の曳山や宋渡来のつづれ織の見送り幕、祭囃子などには、近世近江商人の影響が強くみとめられる。
   800年以上の歴史を持つまつりで、毎年5月2日が宵宮、5月3日が本祭、5月4日が後宴祭と3日間行われる。県指定の無形民俗文化財になっており、本祭には各町内の曳山16基が笛や太鼓の囃子で宮入りし、昼前には出揃い祭囃子の競演が行われる。日野町は、1日中祭1色になり、多くの見物客で賑わう。

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【まつり】   南山王祭

   日野町の日枝神社の春の祭礼で、毎年4月4日に行われます。
   「ほいのぼり」という美しい幟が各町内から奉納されるのが見ものです。
   神社の広場に色美しく立てかけて、町内の者が誘い合って幟の下へ花毛氈を敷き、春の訪れを喜び合いながら一献傾けるのがならわしとなっています。
南山王祭

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【神社】   馬見岡綿向神社


   日野の街の東より、信楽院の近くにある。544年、綿向山の頂上に創建され、延暦15年(796年)に現社地に遷座されたという。現在も綿向山頂上にある大嵩神社を奥宮としている。
   「延喜式神名帳」には馬見岡社として名を残しており、中世には、蒲生氏の厚い庇護を受けて栄えた。天文18年(1549年)に蒲生定秀による社殿の修営が伝えられる。
   神域は、約31000平方メートル、森を背にして拝殿、唐破風・千鳥破風を組み合わせた銅板屋根の本殿が立つ。一隅に、鎌倉時代の様式をとどめる石灯籠がある。5月2・3日の例祭は日野祭とよばれ、豪華に飾り立てられた16基の曳山が街中へ繰り出し、芝田楽と称する田楽舞が奉納されて、昔ながらの祭風景が展開される。県の無形民俗文化財に指定されている。
  詳しくは、馬見岡綿向神社;http://www.ex.biwa.ne.jp/~j-watamuki/

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【天然記念物】   別所の高師小僧

   日野駅の南西約2キロのところ、国道307号から少し東へ入った水田の中にある。
   高師小僧というのは、管状の褐鉄鉱のことで、地中の植物の根や小枝の回りに、土中の鉄分が水酸化鉄として沈殿してできたもの。もと愛知県豊橋市の高師原に多く見られたのでこの名がある。別所地区のサツマイモ型のそれが最も多く、直径7.8cm、なかには10cmに及ぶものもある。国の天然記念物に指定されている。

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【天然記念物】   熊野のヒダリマキカヤ

   綿向山の南西、熊野地区に3本ある。坂氏宅地内にそびえる一号は、目通り幹囲2.4mと、宅地から道路を隔てて急斜面の上部にある二号は1.8mと、これと少し離れた前田氏宅地内にある1本は、目通り幹囲約2.5m、樹高13m余り。 いずれも1922年に国の天然記念物に指定されている。
   ヒダリマキカヤは、カヤの珍種で、紡錘形の種子の外皮の表面に、螺旋状の筋のあるのが特徴とされる。筋は、株によって異なり、左巻きの多い木と、右巻きの多いものとがある。この地が、ヒダリマキカヤのわが国最初の発見地である。
   ヒダリマキガヤは普通のカヤに比べ、葉や樹形は同じであるが、種子が長楕円形で著しく大きく、縦すじは左または右にねじれているのが特徴である。
熊野のヒダリマキカヤ

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【天然記念物】   鎌掛の屏風岩

   国指定の天然記念物で、鎌掛地区の東、滝谷川右岸の城山の中腹に露出している。屏風のような形をした岩で、長さ約30m、高さ9m、厚さが5.5m余り。上部は粘板岩下部は古生層の硅岩からなる珍しいもの。
   城山は蒲生氏一族が築いた鎌掛城のあったところで、今も頂上の本丸跡に土塁・井戸などが残っている。城主の秀紀は叔父の高郷と争い、大永5年、在城わずか2年余りで高郷に謀殺された。

【天然記念物】   綿向山麓の接触変質地帯

   国指定の天然記念物で、綿向山の北西麓に見られる。古生層の石灰岩と、その上盤をなす粘板岩とが、花崗岩の接触によって変質作用を受け、石灰岩中に珪灰石・ベスーブ石・ザクロ石などが生じ、粘板岩はホルンフェル(接触変成岩)となったもの。地質学的に貴重とされている

【食する】   日野菜

   アブラナ科。1年生草本であるカブの一品種。細長い根部のうち地上にでている部分の表皮が赤い。
   葉と葉柄も着色している。独特の風味があり、そのまま糠漬けにしたり、薄切りにして桜漬けにしたりする。栽培の歴史は古く、蒲生郡日野町に15世紀に栽培が始まったという。現在では県内各地にひろまっており、他府県での生産も伸びている。種子は日野町鎌掛、深山口で採種されている。栽培としては夏の早播き9月収穫のほか、秋播き冬どりや春播き初夏どり、さらにはハウス内での周年栽培もある。県内にはヒノナの他に古くから色カブの品種が多い。

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【土産】   いが饅頭、丁稚羊羹、近江牛



【地酒】   日野商人、氏郷、綿向山


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